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母と私のグラタンに見る家庭料理の多様性
フランスへの憧れとグラタンの記憶
中学生の頃、フランス人の女の子と文通を始めたことがきっかけで、フランスに強い憧れを抱くようになりました。20代の頃、アルバイトや就職で貯めたお金を使って、パリやロワール、ニース、アルザスなどフランス各地を訪れる旅を楽しんだり、フランスのライフスタイルに触れる本を読み漁ったりしていました。その中で知ったのが、フランスの”本場”のグラタンは、マカロニではなくジャガイモを使ったものが主流だということ。一人暮らしを始めてからは、ジャガイモグラタンを手軽に作るようになりました。
一方で、実家で母が作ってくれたグラタンといえば、マカロニグラタンでした。母の作る洋食の中でもグラタンは特にお気に入りで、オーブンでこんがり焼き色のついたホワイトソースと溶けたチーズの組み合わせが絶品でした。当時、プロセスチーズが苦手だった私でも、グラタンに使われた溶けるチーズはおいしく食べられたのを覚えています。
ジャガイモグラタン vs マカロニグラタン
私が作るジャガイモグラタンは、とてもシンプルです。ジャガイモをスライスして電子レンジで加熱し、その間に玉ねぎをバターで炒めてホワイトソースを作り、耐熱皿にジャガイモ、ホワイトソース、チーズを重ねて焼くだけ。一方、母のマカロニグラタンは、鶏肉と玉ねぎを炒め、ホワイトソースを作り、マカロニを茹でてから焼くという工程が必要で、手間がかかるものでした。
以前、一度だけ母のようにマカロニグラタンを作ろうと挑戦したことがありましたが、その工程数の多さに驚きました。三世代で暮らしていた実家では、母は祖父母のために和食も用意しながら、このような手間のかかる洋食を作っていたのです。なぜ、忙しい日常の中でこれほどの手間をかけた料理が家庭で市民権を得たのか、興味を抱くようになりました。
日本のマカロニグラタンの背景
アメリカには”マカロニ・アンド・チーズ”という似た料理がありますが、これはイギリスが発祥とされています。1861年の『ミセス ビートンの家庭料理の本』には、今日のマカロニチーズに似たレシピが掲載されています。アメリカで広まった背景には諸説ありますが、世界大恐慌時に安価で腹持ちが良い食べ物として親しまれたことが大きいとされています。
日本では1955年に大量生産のマカロニが発売され、家庭でも手軽に作れるようになりました。同時に、戦後の乳製品の普及もグラタンが家庭料理として浸透する一因となっています。牛乳やバターが手に入りやすくなり、1970年代中盤には冷蔵庫の普及率がほぼ100%に達したことで、乳製品を使った料理が家庭の定番となりました。
さらに『おいしい食の流行史』では、フェミニズム・ムーブメントが手間のかかる料理の普及に影響を与えたと指摘されています。
外で稼ぐことができるのに家にいる、という非難の目を注がれたことを意識したのかどうか、主婦たちは家事を念入りにしていくようになります。(略)ハレの料理が日本の家庭では、日常の惣菜として普及していくのです。
出展:『おいしい食の流行史』
母も、自営業を営む父を手伝う傍らで家事にも多くの時間を割いていました。それに対し、東京で一人暮らしをしながらフルタイムで働く私は、料理にかけられる時間が限られています。外食や冷凍食品といった選択肢もある現代では、時短料理が求められるのは当然の流れです。
台所の多様性とこれからの家庭料理
2022年度の男性の育児休業取得率は17.13%に達し、1996年度の0.12%から大きく増加しました。女性の社会進出だけでなく、男性の家庭進出も進む中、台所にも多様性が求められるようになっています。その結果、家庭料理も多様化し、手間のかからないレシピがますます受け入れられていくことでしょう。
私自身、簡単でおいしいジャガイモグラタンのようなレシピを通して、これからの家庭料理の在り方を探っていきたいと思っています。