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  >  ニュース&コラム   >  ボルドーのマルシェとウサギ肉—フランスと日本の食文化の交差点で

ボルドーで見たウサギ肉

コロナ前、私はフランスの銘醸地の一つであるボルドーを訪れました。

フランス旅行の楽しみの一つは、マルシェ(市場)を散策することです。野菜やチーズなどの食材が集まるマルシェはボルドーにもいくつかありますが、この時に訪れたのは「マルシェ・デ・シャルトロン(Marché des Chartrons)」でした。

「シャルトロン」は地名で、18世紀の古典様式の建物がそのまま残されている歴史地区でもあります。パリの裏通りのような雰囲気を持ちながらも、建築にはどこか南国風の趣があり、パリとは異なる異国情緒を感じます。古い街並みを歩いていると、まるで18世紀のボルドーにタイムスリップしたかのような、不思議な感覚に包まれました。

歴史を感じながら数分歩くと、ガロンヌ川沿いで開催されているマルシェにたどり着きました。この日のボルドーは曇り時々雨で、青空市場には少々厳しい天気でしたが、ボルドーは大西洋に近く、雨が少なくない地域でもあるため仕方がありません。

マルシェ・デ・シャルトロンには魚、チーズ、パン、野菜、カヌレなど、さまざまな品が並んでいました。鶏肉屋にはウサギも売られており、その姿には一瞬驚かされました。店先には、まだ生きていた頃の姿を思わせる鳥やウサギが吊るされていました。

Marché des Chartrons Marché des Chartrons Marché des Chartrons

食文化研究:日本におけるウサギ肉の変遷

大学で取り組んでいる食文化の研究の中でウサギ肉に関心が湧き、課題の題材として選ぶことにしました。

ウサギ肉は、フランスでは「ラパン(lapin)」として親しまれています。特に農村部や田舎では、昔から家庭の食卓に並ぶ伝統的な食材です。近年、都市部では家庭でウサギを調理する機会が減りつつあるものの、今でもレストランやビストロで出会うことができ、フランスの食文化が脈々と受け継がれていることがわかります。

ウサギ肉は、日本でも古くから食されていました。縄文時代には、すでにウサギが食用として利用されていた証拠が残されています。しかし、675年に出された肉食禁止令によって、動物の肉は「穢れたもの」と見なされ、食べることが禁じられました。

この禁令が解けるのは、明治時代になってからです。1871年、明治天皇の宣言により肉食が解禁された際、その中にはウサギ肉も含まれていました。しかし、ウサギ肉が広く普及することはなく、戦後に養兎産業が一時的に発展するものの、長期的には定着しませんでした。

1950年代には、ウサギ肉がハムやソーセージの材料として一時的に利用されていましたが、供給の不安定さから国内産のウサギ肉は輸入品に切り替えられました。このような経済的理由や供給面の問題が、日本におけるウサギ肉消費の減少につながったと考えられます。

さらに、日本ではウサギに対する心理的な抵抗も強く、これもウサギ肉を食べない文化の一因でしょう。ウサギは「かわいらしい」動物として多くの人に愛されており、ウサギ肉を食べることに「かわいそうだ」という感情が湧いてしまうようです。

このように、ウサギ肉が日本において広く食されなかった背景には、歴史的、経済的、そして心理的な要因が複雑に絡み合っています。

フレンチレストランで食す初めてのウサギ肉

これまでウサギ肉を食べたことはありませんでしたが、せっかくの機会なので試してみることにしました。

都内でウサギ肉を扱うビストロを見つけ、「ウサギモモ肉のコンフィ オニオングラタンソース添え」を注文しました。合わせたワインは樽香のあるシャルドネです。樽熟成から来るバニラやローストの香りがコンフィやソースの香ばしさと良く合い、その旨みを引き立ててくれました。

初めて食べたウサギモモ肉のコンフィは、あっさりとしてクセがなく、食べやすい印象でした。見た目は鶏の手羽肉のようですが、味わいは胸肉のようにさっぱりしていました。

シェフが次のような話をしてくれました。

「今日のウサギ肉はイタリア産です。フランスでもイタリアでも、ウサギ肉は親しまれていますが、味わいはそんなに変わりませんね。うちの店では、入荷状況によって産地が変わることもあります。ウサギは幸運を運ぶとされる動物なので、店内にも小さな置物をいくつか飾っているんですよ」

ウサギ肉を初めて味わったことで、フランスの豊かな食文化を改めて実感し、自分がまだ知らないことがたくさんあると気づかされました。

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