
この記事では、アルザスの歴史と、歴史がアルザスワインに与えた影響についてまとめてみました。
概要
アルザスの歴史は1648年を区切りとして二分されます。この年にウェストファリア条約が締結されてフランス領になりますが、それ以前は神聖ローマ帝国、つまりドイツでした。
さらにフランス領となってからも、アルザスは二度ドイツとなります。アルザスの体制は1870年、1918年、1940年、1945年と短い間に4度も変化したことになります。
1,000年以上もの間のゲルマン的影響と、300年程度のフランスの影響が、時に対立し、時に融合することで、アルザス独自の文化が形成されてきました。
先史時代〜ローマ帝国
ローマ帝国による支配
この地方にはもともとケルト人が住んでいました。ケルト人とは、現在のフランス(当時はガリアといいます)、スペイン、イギリス、イタリア北部、さらには小アジアまで、ヨーロッパ各地に定住した人々です。
紀元前2世紀末になると、ゲルマン人が次々とガリアの東部に侵攻して来ました。紀元前58年にはゲルマン人はライン川を越え、アルザスにもやってきます。ケルト人はローマ帝国に助けを求め、アルザス地方を含むガリアは、ローマ帝国の支配下に置かれました。
当時、ローマ帝国はゲルマン人の侵攻に手を焼いていました。ライン川はローマ帝国のゲルマン人の国境であり、肥沃なこの地域を守る必要がありました。
そこで紀元前12年、ローマ軍はライン河畔の軍事的拠点として要塞都市アルゲントラトゥムを設置し、西暦1〜2世紀頃にはこの地を恒久的な駐屯地としました。この要塞都市が、現在のストラスブールとなります。
ローマ帝国時代のアルザスワイン
アルザスを含むライン川沿岸地域では、2世紀頃からワイン造りのためのブドウ栽培が始まったと考えられていますが、ブドウ栽培に関する明文化された情報は見つかっていません。この当時ブドウ栽培がされていたことがはっきりしているのは、もっぱらモーゼル川周辺でのものばかりなのです。
フランク王国時代
496年にフランク王クローヴィスがアルザスを征服します。直前にフン族によりアルザスは崩壊していたのですが、フランク王国による支配とともにアルザスは再建されます。クローヴィスはキリスト教をフランク王国の国教としたことから、キリスト教が普及し始めたのもこの頃です。
>>>クローヴィスがキリスト教へと改宗したお話はこちら
その後アルザスは公国に昇格し、ゲルマン系のエティション家の支配下で繁栄を経験します。ちなみに7世紀初頭にはすでに「アルザス」という名称が存在していたそうです。
シャルルマーニュの子ルートヴィヒ(仏名ルイ)敬虔王(在814〜840)の時代、アルザス地方のワインはライン川を通り、フリートランド(現在のオランダ北部)やライン川沿岸の国々にワインを売られていました。敬虔王がストラスブールの大司教などに免税権を与えることで、アルザス地方のワイン産業の基礎が築かれていきました。アルザスの人々は、輸出取引によるわずかな利益の減少も恐れ、自分たちが作ったワインを飲まなかったそうです。こうしたエピソードからも、アルザスがワイン産業によって経済的に潤っていく様子を伺うことができます。
843年、ヴェルダン条約によりシャルルマーニュの領土は次のように3つに分割されます。
- シャルル2世が統治するフランク王国西部(今日のフランスの原型)
- ロタールの統治する中部(アルザス・ロレーヌなど)
- ルートヴィヒ2世の統治する東部(今日のドイツの原型)
アルザスはロタールの統治する国にしばし統合された後、962年のオットー大帝による神聖ローマ帝国樹立以降、ドイツへと併合されることになります。
このような時代背景の中、アルザスワインはゲルマン人の交易品となり、アルザスに富をもたらします。この頃からすでに、ヴォージュ山脈東側斜面を活用してブドウを栽培していたそうです。
神聖ローマ帝国時代
ゲルマン系の市場との交易による繁栄
神聖ローマ帝国時代は、アルザスに富が集まり栄華を極めた時代でした。
9〜11世紀、現在のオランダやベルギー周辺地域にあった多くの教会や修道院は、ケルン上流のライン川やモーゼル川沿いにブドウ畑を所有していました。これらのブドウ畑で作られたワインは、川を下って教会・修道院へ供給し、さらにその先の北海地域にまで運ばれました。
11世紀以降に出荷量が急速に増加したアルザスワインは、12世紀にはイギリスも主要販路の一つとなり、イギリス王やその臣下たちに大変好評だったそうです。
1230年頃、スイスのザンクト・ゴットハルト峠が開通し、イタリアからの物資がアルザスを通過するようになりました。ライン川の水運を利用して、木材や鉱山産物、ワイン、絹などが莫大な利益を生み出します。
中世の終わりにかけて北はストラスブールを通り、ドイツやハンザ同盟都市やイギリスへ、南はコルマールからスイスにまで大量のワインが輸出されました。
このように、アルザスはモーゼル川&ライン川沿岸のブドウ栽培地の一つとして、ゲルマン系の市場の恩恵を受けることで繁栄したことが分かります。
神聖ローマ帝国時代のアルザスのブドウ畑

14世紀におけるアルザス地方のブドウ畑は、フィロキセラが猛威をふるう19世紀後半に匹敵する広さにまで達し、ライン最大の生産量と輸出量を誇るようになったのです。
なお、アルザスでも多く作られるブドウ品種リースリングですが、1402年にはリースリングと思われるルスリングというブドウ品種が歴史文献に初登場します。アルザス地方でも、15世紀にはリースリングの栽培が開始されたそうです。
繁栄を支えたストラスブール
この時代、繁栄の中心となったのはストラスブールでした。
1445年までにグーテンベルクが活版印刷技術を開発したことで、ストラスブールは印刷・出版業、ひいては知的活動の一大拠点となります。活版印刷技術は、宗教革命やイタリアルネッサンスなどに大きな影響を与え、中世から近代へと歴史を変える流れを作った発明品でした。
活版印刷技術は、ブドウ搾り機からヒントを得たと考えられています。ハンドルを回転させることで圧力をかけ、ブドウ果汁を搾り出す様子を見て、その技術を応用し、木製の平圧式印刷機を作ったのだそうです。
さらに、1514年に教皇レオ10世が発行した免罪符をきっかけに始まった宗教改革でもストラスブールはその存在感を強めます。町ぐるみでプロテスタント(新教)へ移行したストラスブールは、プロテスタント世界における一種の外交上の首都の役割を果たすことになったのでした。
スイスで生まれたカルヴァン派のカルヴァンは、1538年にジュネーヴを去らざるをえなくなります。彼はストラスブールへと移住し2年間暮らしました。
フランス時代

神聖ローマ帝国は、国といっても諸侯がそれぞれの領地を支配する分裂状態でした。そのような中、宗教対立が発生します。そこへ領土拡大を狙う周辺諸国が宗教を口実に介入し、三十年戦争へと発展しました。
三十年戦争は1648年のウェストファリア条約により終結します。この条約により、アルザスは神聖ローマ帝国からルイ14世が統治するフランスへ割譲されました。
戦争による国土の荒廃、飢餓、ペストの流行に加え、1681年に正式にフランス王国アルザス州と定められたことで、アルザスの繁栄に歯止めがかかります。
さらにフランス革命勃発でライン川の経路が閉ざされ、ゲルマン系の市場から閉め出されたことで、アルザスのワイン輸出量は急減してしまいます。
なおフランス時代に前後して、現代のアルザスワインに代表されるブドウ品種が、ぞくぞくとこの地へと入って来ました。17世紀にはピノ・グリ、17世紀末にはゲヴュルツトラミネール、18世紀にはシルバナーがアルザスに植えられたそうです。
再びドイツ領へ
時代は下り、フランスはナポレオン3世が統治をする時代となります。一方ドイツはプロイセンとなり、ビスマルクが首相として着任していました。この二カ国、スペイン王位継承問題に端を発し1870年に普仏戦争が勃発します。
1871年、フランスは普仏戦争に敗れ、アルザス ・ロレーヌはドイツ領となりました。ドイツによる支配は、その後48年間続きます。
現代のアルザスワインの礎
あらためてライン川沿岸のワイン産地の仲間入りをし、リースリング種のあらたな植栽が進められました。
2020年のソムリエ教本によれば「ドイツにおける最大のワイン産地として質よりも量が求められ、安価なブレンドワインの供給地となった」そうです。確かに19世紀後半は、繁栄を極めた中世と同じくらいのブドウ栽培面積を誇っていたようです。
この時代、フランスとドイツとの間に挟まれながら、アルザスはその独特の文化を形成していきます。ワインについても、現代のフランスでほぼ唯一アルザス地方だけにリースリング種が栽培されています。またラベル表示に品種を明示したり、スリムなボトルが使われています。こうしたドイツ式のワインは、この時代の影響を色濃く反映していると考えられます。
しかし19世紀後半にはヨーロッパ中のブドウ畑が大災難に襲われます。フィロキセラという害虫が多くのブドウを枯死させたのです。アルザスにおいては、フィロキセラの被害後は病気に強い交配品種が平地に植えられ、上質なワインを産する斜面の畑は見捨てられてしまったのでした。
2つの世界大戦
20世紀に入ると2つの世界大戦が勃発します。
第一次世界大戦後(1919年)にはヴェルサイユ条約によってフランス領となります。
1940年には第二次世界大戦のフランス降伏により、またもドイツ領となります。アルザスは激戦地だったため、ストラスブールなどいくつもの街は壊滅状態となりました。5年後の1945年。ドイツ降伏によりフランス領へ戻り、現在に至ります。
まとめ
アルザスのワインは、他のフランスの産地のものと比較すると、ラベル表記やボトル、使われているブドウ品種が独特で、ドイツワインに似ていることは知っていました。それは単純に「ドイツに近いから」だと思っていましたが、実際にはかなり長い期間に渡って「ドイツだったから」であり、ドイツだったからこそ得られた様々な恩恵があったからなのかもしれません。